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ハンブルク
ハンブルクを思い浮かべる方は、ドイツ最大の港を思い浮かべることでしょう。このハンザ同盟都市は海に面しているわけではありません。北海までエルベ川を更に120キロメートル下らなければなりません。それにもかかわらずこのドイツ第二の都市は世界への門です。80,000の人々が欧州で最大の面積を誇る国際港で働いています。今日 ハンブルクはこの港によりドイツで最も重要な産業地の一つとなっています。
ハンザ同盟都市ハンブルクの港は800年の歴史を誇っています。数年前から港祭りのスペクタクルを完璧なものにするために、5月第2週目の週末に大型帆船がハンブルクの上陸用桟橋に集まっています。
800年来の自由貿易の都市
「自由とハンザ同盟都市 ハンブルク」を公式名称とするハンブルクは811年に「ハンマブルク」という名で創立されました。12世紀末にこの町が中世期世界貿易の中心地へと発展し始めました。 ハンブルクは 当時の数多くの北ヨーロッパの町から構成された強力な商業同盟であったハンザ都市の一つでした。 ハンブルクはハンザ同盟の最も重要な北海の港となり、穀物、布、毛皮、ニシン、香料、木材そして金属の貨物積み下し場となりました。 ハンブルクは1189年以来、市民が統治する自由共和国です。
19世紀中頃までハンブルクは中世期の町境以上に発展することはありませんでした。今日のサンクトパウリ、アルトナ、そしてサンクトゲオルクはずっと昔は町の門の外にありました。 1850年当時の人口はわずか50,000人でした。
開始された産業化とともに1860年になって始めて周辺の町村がハンブルクに吸収されるようになりました。1900年当時の町の人口は百万でした。1937年の大ハンブルク法により ハンブルクは今日有効な町の境を規定しました。
重要なメディアの町
港だけがこの町を豊かにしたわけではありません。 ハンブルクは今日では重要なメディアの中心地でもあります。多くの版数を誇るドイツの20の雑誌の内、15の雑誌がこの町で発行されています。ドイツ第一テレビ放送ARDもハンブルク からドイツで最も重要なニュース番組である「ターゲスシャウ」を毎日放送しています。 ハンブルクは高度専門化企業の産業立地でもあります。医療とバイオ技術の大手が集まっており、航空機製造の世界の中心地の一つです。ここで大型航空機エアーバスA 380が製造されています。
ハンブルクはブレーメン、そしてベルリンと同様にドイツにある3つの都市国家の一つです。 つまりハンブルクは独自の州政府、そして首相としての市長を有する16の連邦州の一つです。
クールなエレガンスとホットなナイトライフ
ハンブルクは商業ビルとアトランティックのような華麗なホテル、世界的なミュージカル制作、そしてエレガントなショッピングストリートのクールな華麗さを誇る世界都市です。そして有名なレーパーバーンもここにあります。サンクトパウリが眠ることはありません。夜中の12時半になって始めていろいろと賑やかになってきます! 今日では若者がこの界隈を支配し、数多くのサブカルチャーのクラブとディスコで楽しんでいます。朝早くアルトナ魚市場にも行くことができます。この市場では毎日曜日に大声で競り市がおこなわれます。
ハンブルク 訪問に自由港と歴史的な倉庫街の見学は欠かせません。ここではコーヒーと異国情緒豊かな香料の臭いが遠い国への憧れを喚起します。
Foto: REGIERUNGonline / Reineke ハンブルクはサッカーブンデスリーガ所属のハンブルガー・シュポルトフェラインHSVのホームです。ドツチャンピオンシップを6回獲得したこのチームのホームスタジアムは、ワールドカップ開催中はFIFAワールドカップスタジアム・ハンブルクと名づけられることになるAOLアレーナです。 1988年に伝統あるフォルクスパーク・スタジアムの敷地に建設が開始されたこの最新スタジアムは2000年に完成したばかりです。HSVはドイツの最も偉大なスポーツ選手の一人であるウベ・ゼーラーのホームクラブです。ウベ・ゼーラーはハンブルクでは「俺たちのウベ」の愛称で市民に親しまれています。ハンブルク生まれのウベ・ゼーラーはHSVで9年間にわたりブンデスリーガでプレーしました。そして1961年から1970年までドイツのサッカーナショナルチームのキャプテンでした。
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